個人借入先の該当者がいなかった土建業者

昭和の節税対策  > 納税者と税務署の攻防戦  > 個人借入先の該当者がいなかった土建業者

個人借入先の該当者がいなかった土建業者
 金融機関からの借入金については、真実性についての袈づけがとりやすい。個人からの借入金に ついては、税務署が往々にして一杯食わされてしまうことがある。そのためにときには署員が回闘 の中まで歩かされることがある。

 船橋市は郊外の開発が進み、市の土建業者は忙しくなった。野本建設株式会社は、その勢いに 乗って、土木工事も住宅の建築工事も忙しかった。

 ある昼下がり、資本金五百万円で始めたが、配当でもたくさん出して、資本金一千万円に増資 でもしようかと、社長の野本春士口(四十八歳〉は事務所で新聞を読んでみながらボヤッと考えてい た。そんなとき、明日から調査をしたいが都合はよいかと税務署から電話がかかった。明日から 三日間の予定だと強引に承諾させられた。

 調査官は最初から調査のポイントの中で、個人借入れを最重点項目にしていた。三口あって、 総額が二千三百万円である。初日は通常の調査の規格どおり、総勘定元帳が念入りに調べられ た。その聞に個人借入金について、貸主の氏名を書きとられ、それに対する支払い利息の支払い 状況もメモ書きされた。

 貸主の住所は元帳にも書いてないので、野本は自分で書くより仕方なかった。野本はすらすら と書いた。

 「電話は・・・・・・」

 と調査官が聞いたが、

 「いますぐには思いだせない」 と野本は答えた。翌日の朝九時過ぎに税務署から電話がきて、今日は都合で調査に行かれないといってきた。 調査官は個人借入金のうち、利息を払っている一口はほんものだが、あとの二口は危ないとに らみ、その裏づけ調査にでかけたのである。一口は船橋市内だった。該当する町名番地に借主に なっている人は、たしかに住んでいた。

 「こんにちは…」と入っていくと、

 「どなたッ」

 元気のよい中年女の声が返ってきた。用件をいい、あんたのご主人は、ほんとうに野本に五百 万円貸しているのかと聞いたら、その女は大きな声で笑いだして、

 「見てくださいよ。この家の中:::。うちの亭主は先月新日本機械の指名解雇になり、今日も職 安にいっているんですよ」

 これでひとつつぶれた。もう一口。初夏の暑い日ざしの中を、調査官はテクテグ歩いた。その うち、畑がつきて田闘が見えた。そこに農夫が一人いた。番地をいうと、ここがそうだという。 もちろん、野本の借入先ではなかった。結局、個人借入金一千八百万円が嘘だとわかり、売上げ 除外で役員賞与と認定された。

 野本は、あのとき口裏をあわせてくれる人を捜しておけばよかったとホゾをかんだ。