税務署員の目は医者の待合室にも光る

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税務署員の目は医者の待合室にも光る
 税金の負担の公平を旗印に、税務職員はあらゆる場所で、脱税の糸口を発見しようと苦労し、ま た、その手段も、税を逃れようとするものの知能が進めば進むほど、それに正比例して、研究に励 むものである。ところが、突に素朴な発見もある。

 瀬川実〈二十二歳〉は、税務大学校普通科を修了、 たった。ある日、上席調査官に呼ばれ、 「お前、なんだか顔色が悪いな。どこか悪いんじゃないのか」 と聞かれた。別にどこも悪いところはないのに、おかしなことをいうなと思ったら、 「顔色が悪い。体の具合が悪そうな格好をして、これから田原町× 丁目の曾野病院に行ってこ い。そして…」

 命ぜられた仕事は、会計の窓口から死角になっていて、しかも窓口の声がよく聞こえるところ を探して、患者の待合室で患者らしい様子をして長椅子に坐り、窓口で『誰々さん、いくら』と いうから、二時間ぐらいの聞にその時間と名前と金額を全部メそってこいということであった。 十二時になったら引き揚げてよい、あとは代わりが行くということをつけ加えられた

 整形外科で評判がいいのか、ひどく混んでいる病院だった。上席調査官にいわれたような都合 のよい場所はなかなかなかった。ようやく会計の窓口の声がよく聞こえる場所を見つけて坐り、 週刊誌をひろげてその聞にメモ用紙をはさんで待機した。しばらく窓口の声がなかったが、女子 事務員がよくとおる声で、

 「遠井さん。三千八百五十円です」

 といった。午前十時十五分。瀬川は時間と名前と金額をメモ用紙に書き込んだ。誰かに見られ ていやしないかと、恐る恐る周りを見回したが、沈み込んだケガ人や病人は、それどころではな いという様子であった。正午までに十五人を書き取ることができた。まだ若いという理由で、な かなか本格的な調査を単独でやらせてもらえない瀬川は、またも情けないようなおかしな気持ち になってしまった。

 それから、一週間してまた上席調査官に呼ばれた。

 「明日、お前は役所にこなくてよい」

 といわれた。瀬川はびっくりしてきょとんとしていると、 に、午前九時ジャストにこいという。

 上席調査官以下三人で、曾野病院に入ったのは午前九時三十分ちょっと前だった。いきなりの 税務調査に病院側は、横暴だとか人権時株捌だとか騒ぎたてたが、上席調査官がなんとかとりなした。瀬川は現金収入簿を預けられ、自分と他のもの二人がメそをした収入がちゃんと記帳されて いるかどうか、チェックしてみろといわれ、自分が調査した日のぺlジを聞き、ひとつひとつ帳 簿とメモとを照合していった。なんと驚くではないか、メモした資料には約八十人分の氏名と金 額があるが、そのうちの三分の一は帳簿には記入されていない。しかも、五千円以上の口はほと んど書かれていなかったのである。