格子の数で売上げを推計された理髪店

昭和の節税対策  > 納税者と税務署の攻防戦  > 格子の数で売上げを推計された理髪店

格子の数で売上げを推計された理髪店
 理髪代も年々値上がりして、一人一回二千円以下はまれになった。往々にして、回転の早い現金 商売は収入の実態をつかみにくい。椅子の数を基準にして、その椅子が一臼何回転するかによっ て、一日の収入金額を割りだし、それから所得金額を推計するのも、税務調査の方法である。 久仁春雄(三十六歳〉は、十五年におよぶ東京での見習修業を終えて、ようやく大阪市の中心か らちょっとはずれたところに、店を一軒かまえることができた。十五年の修業といっても、最後 の五年は店主の片腕として、経営の実際を主に見習っていた。

 そして、その聞に収入のごまかし方まで習ったのである。ちょいちょいある洗髪だけとか、顔 剃りだけという客は収入にあげないことを知った。税務調査さえなければうまくいくという主人 の言葉が、いつも耳から離れなかった。前の主人はなにごともなくうまくいっていたようだ。

 彼の店の客の大半はサラリーマンだった。午前中はガラガラだが、午後の四時すぎごろから八 時の聞広までと、土曜、目隠は最低一時間は待たなければならないほどの繁盛振りだった。椅子 は五セットしかない。萎の秋子(二十八歳)が免状をもっているので、店に出.すっぽりであった。

 駅前では調髪一セット二千三百円でやっていたが、思いきって一千八百円でやった。一日に崎 子が平均して九回転はした。一日の水揚げは約八万円だった。毎週月曜日は定休日だから、月に だいたい二十五日稼動して、一ヵ月で二百万円以上の収入になる。この調子でいくと一年に二千 四百万円ということになる。税金のことが気掛かりになって前の主人に電話をしてみた。

 「お前は馬鹿だな、一日九回転は多すぎるよ。七回転ぐらいにしておくんだ。毎日税務署がつい ているわけではないから」

 という返事だった。

 開屈が三月だったので、その年は正味二百五十日ぐらいしか店をやっていない。一日の収入は 六万円を標準にして、一千五百万円ぐらいしかないことにし、雇人の給料や諸経費を差し引いて 百八十万円の所得で申告した。実際には一千九百万円近い収入があったのである。

 翌年の三月十五日前に確定申告をし、五月にはいっても税務箸からなにもいってこないので、 久仁は内心ホッとしていた。しかし、五月の終わりのある日、それも夕方近く、混み始めそうな 時聞に調査官が不意にやってきた。

 「昨日の売上げと、今日の売上げを教えてくれ」

 というのである。同時に客数も聞かれた。不意をつかれた久仁は、初めての税務調査であった せいか、ついほんとうのことをいってしまった。あまり詳しいことを調べずに帰ったので、また も安心していたら、数日後呼びだしがあった。